「人流」に違和感

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大阪や東京でのコロナ感染者の急増に伴った緊急事態宣言の発令にもかかわらず、人の流れがあまり変化ないとメディアが連日伝えている。コロナ自粛も2年目に入ると疲れが蓄積してきているため、今までのように感染対策をしっかりしておけば大丈夫だと皆が思っているためであろう。

ところで、最近テレビで政治家や官僚が「人流」という言葉を頻繁に使っており、アナウンサーまでが以前から在った言葉(教科書にも出ている??)のように放送している。「人流、なんだこれは?」こんな言葉は以前にあっただろうかと、かなり違和感を持っている。ちなみに広辞苑でひいても「みつかりません」とすげなく検索拒否。

物の流れを示す「物流」(物的流通の略:広辞苑)に対する人の流れを「人流」と読んでいるのであろうが、「人的流通」の略として使用しているならば、人をまるで物のように扱う感覚はとても受け入れられないし、綺麗な日本語ではない! とくに「人流抑制」などと表現して単なる物としての人の動きを否定、抑制するような意味で使われることが多いのでなおさらである。一歩譲って「人口流動」の略として解釈、実際そのような意味で表現している地方自治体のネット記載も見受けられるが、コロナ感染抑制の中で使われている「人流」とは意味合いが違うだろう。4文字を2文字に省略して何の意味があるか。流行言葉に便乗して使い出したような品のなさを感じるのは私だけか。

人と人との交流を示す人的交流や人事交流とは全く異なった異次元の新語だ。「人の流れ」「人出」で良いではないか。こんなことばが「新語大賞」などの候補に選ばれるようであれば、世も末で日本語の破壊も極まれり!と思うので、そうならないことを望むばかりである。

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