高野山のお寺で乾杯

更新日:

7月7日に大阪の仁徳天皇陵が「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコの世界遺産に登録された。その歴史的な評価と将来的な管理保護が担保されることはすばらしい。

私が20年以上住んでいた和歌山にも世界遺産がある。15年前の2004年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」として高野山や熊野古道などが世界遺産に登録された。4年前の2015年(平成27年)に高野山は弘法大師空海の手で密教の道場が開かれてから1200年を迎えた。
高野山は壇上伽藍を中心とした宗教都市で、100以上の寺院が集まっており、その中核をなす金剛峯寺は高野山真言宗の総本山で、境内には日本最大の石庭といわれる「蟠龍庭」がある。金剛峯寺の近くで、高野山の中央に位置する普賢院(ふげんいん)は国際学会のポストコングレスや海外からのゲストの宿泊にときどき使わせてもらっていた。ここの森住職は医師、高野山大学教授と何足ものわらじを履いており、私が和歌山で学会をした際にも「医学と密教」のご講演をしていただいたこともある。
森先生は内科医として和歌山医大で活躍していたが、高野山でも高名なお父様がお亡くなりになり、800年近い歴史を誇る名刹、普賢院を継ぐこととなった。最初は頭を丸めることにそうとう抵抗があったと話してくれた。以前にチューリッヒ大学医学部のナダール教授夫妻を普賢院の宿坊にお連れし、住職にお会いした際に袈裟姿で、「今日は“坊主”をしております。」と豪快に笑っておられた。痛快な人である。

私が和歌山に赴任した当初にはしばらく普賢院で教室のスタッフを全員集めてサマーセミナーを行った。高野山は標高1000mm近いため夏でもクーラーがいらないので、暑い和歌山から逃れて勉強を行おうと言う趣旨であった。宿坊に泊まり、早朝は読経に参加して日頃の悪行を反省することしきり、であった・・のかは確かではないが、非日常的な環境でのセミナーは有意義でとても興味深いものとなった(・・と思っていたのは主催した私一人か?)。

夜は皆で本堂に集まり精進料理となるはずであったが、ここは森住職の計らいで、ビールや熱燗で一杯、とあいなった。食事は修行中の小坊主が用意してくれたが、彼らがお酌をしてくれたときに、最初驚いて「すまないね・・」と言うと「これも修行の一つです」と答えたときには、さらに申し訳なくなり、酔えない気分になったのを覚えている。

写真1:私が主催した国際学会のポストコングレスで、各国の参加者たちと金剛峯寺の前庭で撮影。和歌山から高野山まではつづら折りの山道で私以外のほぼ全員が車酔いとなった(これも仏の修行ですと説明・・・?)。

写真2: 墓地としては世界でも有数の広さを誇る高野山「奥の院」 参道では朝夕のお勤めに向かう修行僧達と出会う。 奥の院には戦国時代の武将、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、武田勝頼、等々、の墓があり、全国の武将達が死後に高野山に分骨するのは当時のステータスであったようだ。

-日記

Copyright© つくば難聴めまいセンター , 2019 All Rights Reserved.