夜と眠りの歴史

夜が恐い

約20万年前に地球上に誕生した我々人類(ホモサピエンス)も、他の類人猿と同様に日中の明るい時に活動して食物を獲得(狩猟採取)し、夜は安全を確保できる場所(木の上や洞穴?)で寝ることが基本生活でした。
2万年前頃から始まった農耕牧畜によって、集団での定住生活をもたらすようになってからも、昼間の明るい時間帯に活動して、暗黒の世界となる夜は、安全を確保して寝るしかなかったのです。

古代ギリシャ神話(紀元前15世紀頃)の神々の中に、「夜の女神」ニュクスとその双子の息子、タナトスという「死の神」とヒュプノスという「眠りの神」が登場します。
兄弟ともに地底の宮殿に住んでいますが、性格は全く違って、弟のヒュプノスは穏やかで心優しい有翼の美青年で、夜が訪れると地底の宮殿を出て人々に安らかな眠りを与えます。一方、兄のタナトスは鉄の心臓と青銅の心をもち「その時」が来ると容赦なく魂を奪い去ります。
当時の人々は、夜活動するのは、悪魔か泥棒(夜盗)か夜警だけで、いつか太陽が昇らない日が来るのではないか、明日は目が覚めないのではないか心配していました。
ギリシャとローマの北緯はそれぞれ37.5度、41.5度で、日本の新潟市、函館市に相当しますので、冬至前後は1日の半分以上が暗闇の世界です。古代ギリシャ、ローマの人々にとって、夜と睡眠は必要悪であり、最も恐怖な時間帯だったのです。

中世になるとギリシャ、ローマなどの地中海沿岸から北西に位置する西ヨーロッパが文化の中心になりました。
アメリカの歴史学者Roger Ekirchは、著書『At Days Close : Night in Rimes Past(日本語訳版:失われた夜の歴史)』に、スカンディナビア地方から地中海に至るまでの西ヨーロッパに残る膨大な文献を検索して、中世から産業革命以前の西洋社会における夜の歴史を記しています。

西ヨーロッパの多くの国は、日本の北端である北海道稚内市(北緯45度)より北に位置します(ヘルシンキは60度、ストックホルムは59度、ベルリンおよびアムステルダムは52度、ロンドンは51度、パリは48度)。ヘルシンキでは、夏至の頃は白夜に近い一方、冬至の頃は17時間近くが暗闇の世界です。
夜の長さは、我々日本人には想像がつきません。
長い夜の危険性に対抗するために、魔術やキリスト教、あるいは地域に伝わる体験的に得た自然の知識に頼って、家庭や出先でどのように睡眠を取り、どのように活動していたかが、綴られています。

中世から近代への移行期である18世紀末にガス灯が、19世紀初めにはアーク灯が、街灯として用いられるようになって少しずつ夜の世界が変わり始めました。それでも「睡眠は死から借りた行為である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである」という哲学者ショウペンハウエル(1788~1860)の名言が、当時の実情ではなかったでしょうか。

19世紀末の発明王エジソンによる白熱電球商品化は、夜に対する恐怖感を軽減しました。安心して眠る(暗くして眠るが、何かあったらすぐ明かりをつけられる)こともできるようになりました。その一方で、白熱電球の普及は、昼行性のホモサピエンスという動物にとっての不幸の始まりでもありました。白熱電球と産業革命による第二次産業の発展は、私たち人類に24時間労働、交代勤務を強要するようになり、夜は寝るという昼行性の生活習慣を混乱させるようになったのです。別の意味で夜が恐くなりました。

皆さんの夜と睡眠の関係はいかがでしょうか?