人生は常に選択の連続ですが、目の前のドアは自動ドアではなく、自分で選んで開けていかなければなりません。一度開けたドアはほとんどの場合すぐに閉まってしまい、戻ることは難しい。この選択のタイミングを振り返ってみると、タイミングがぴたっと合い、勢いよくドアを開けたようなことは極めて少なく、逡巡しながら開けていくことがほとんどだったと思います。つまりこのタイミングにはいつもかなりのズレがあったようです。
物事を決定するときに最もいましめなければならないのは、「躊躇(ちゅうちょ)」することであり、優れた決定でもタイミングをはずしてしまったら、すべてが台無しになってしまいます。
ではこのタイミングのズレはどこまで許容できるのでしょうか。
私は音楽が好きでジャズやクラシックをよく聴きます。とくにコロナ禍の“不要な外出を避けるように!”と閉じ込められていた頃は、断捨離に耐えてきた愛聴版のLPレコードをひっぱりだしてきて、週末は音楽三昧でした。
丁度その頃、いつも“元気か”、“大谷はすごいな!”などと一行メールか、あるいは“今大学病院の医師や看護師たちの燃え尽き症候群の対策委員長をしているので意見を聞かせて欲しい”と突然大量の資料を送ってきたりする、ニューヨークの友人で小児科医のハワード・フェーデンから面白い論文が届きました。私が大のジャズファンであることを知っていてコロナ禍で退屈しているだろうからと送ってくれたようです。
メールに添付された論文は、2022年10月6日付けのCommunications Physics誌で発表されたジャズにおけるスイングを科学的に解析したものです。その内容を簡単に紹介しましょう。
ルイ・アームストロングは1939年にトランペットを持ちながら聴衆に問いました・・・
「スイングというのは何でしょうか?」
何十年もの間、ジャズ音楽のファンは、ある曲にはなぜスイングがあるのか、つまり、足をタッピングし、頭をバップするような独特の揺れ感があるのかについて議論してきました。この論文ではスイングを解明するために、ジャズ・ミュージシャンに、オリジナルのピアノ録音とデジタル処理で微調整したピアノ録音を聴いてもらい、どのような場合にスイングがあるのか解析しました。その結果はリズムセクションに対してソリストのタイミングが部分的に遅れている場合、音楽を「スイングしている」と評価する傾向が7倍以上あることが判明しました。つまりスイングの秘密は、ジャズソリストの演奏のタイミングにあることが分かったのです。
この研究ではジャズ録音のソリストのタイミングだけをコンピュータ上で微調整し、プロとセミプロのジャズミュージシャンにそれぞれの録音のスウィングを評価してもらったところ、ソロのダウンビートがリズムセクションに対してわずかに遅れており、オフビートは遅れていない場合、ミュージシャンは音楽をよりスイングしていると判断する確率が7.5倍近くも高かったのです。
結論として、スイングするためには “タイミングをずらせばいいだけだ”と強調されています。
このタイミングのズレの重要性はクラシック音楽でも指摘されています。
トップクラスのオーケストラの演奏では、指揮者のタクトより遅れて演奏しているように見えることがあります。演奏と指揮棒を振る仕草とのあいだにほんのわずかな遅れが見られるのです。素人目にはオーケストラがちゃんと指揮を見ていないとか、場合によっては指揮についていくだけの技術がないように映るかもしれませんが、実際はまったく違うようです。本当にすぐれたオーケストラというのは、指揮棒が振り下ろされたあとに音を出すようです。これはほんのわずかな遅れですが、そうすれば指揮者がどんな音を目指しているのか、心の準備ができるというわけです。私はミステリー小説が大好きで、ときどき含蓄のある文章を見つけます。上記のオーケストラの話も英国作家、MW Cravenの最新作, 「Dead Ground」(東野さやか訳、ハヤカワミステリ文庫)から見つけたもので、なるほどと感じ入りました。
人生の選択のタイミングに話しを戻しましょう。
タイミングのズレの程度はとても漠然としており、どのくらいの長さが良いかを決めるのは非常に難しいですね。ただ言えることは、長すぎる選択の決断はあまり良い結果を生まないように思います。
「直感はうそつかない」と良く言われるように、直感に従うことは重要だと思っていますが、すぐに行動するのではなくちょっと間隔を置く、つまりジャズのスイングやオーケストラのタクトのように、わずかなズレを置いた方が心地よい独特の揺れ感や心の準備が出来るように思います。
つまり躊躇(後ろ向きなズレ)ではなく、分かっていながらちょっとずらす(前向きなズレ)が重要ですね(わかってもらえるかな・・・)。
東京のビル群をバックにしっかりと腰をすえて構える東京駅
ふっと見上げるとビル群のあいだに月が・・・この微妙なタイミングが気持ちよい驚きを呼び起こすんだな!